upfront / David Sanborn

突然舞い込んできたSanbornの訃報(2024.5)。
年齢もあろうけれど次はどうなるのかと様子を見ていたのだが、最新作であった『Time and The River』(2015)がまさか遺作になろうとは。

さて、筆者にとってのSanbornは『A CHANGE OF HEART』との邂逅から始まったわけだが、リアルタイムで新作が出され、手に取ったという意味では本作となる。直前の『Another Hand』が文字通り従来とは路線の異なる「もう一つの手」だったのでさてこの先はどうなるのかと思われていたところに、ファンキーサンボーン復活!みたいな感じでぶち込まれたのがこの『upfront』であった。
とはいえ、同じファンキーでも『A CHANGE OF HEART』や『Close Up』あたりの打ち込みやシンセサイザーを取り込んだデジタルファンクな楽曲が主軸の路線とは大きく異なり、非常にオーセンティックな生演奏のリズム体によるソウル、R&Bを中心とした内容となっている。シンセサイザーも基本的に登場せず、代わりにハモンドオルガンなどが活躍、Steve Jordanのグルーヴィーなドラムが全編にわたって鳴り響くという、結構トラディショナルな伝統を踏まえた今様サウンド。広い意味では様々な音楽要素を取り込んだサウンドにはなっているものの、いわゆる「フュージョンサウンド」からはもはや遠い。
時代的に俯瞰してみて、特に時流に乗ったかというと別にそんな風ではないと思うのだが(コンテンポラリーな打ち込み、シンセを用いたジャズも普通に多かったし、アメリカの方で特別ローファイな音楽が流行ったわけでもなかったし)、しかし、このサウンドは逆に新鮮で抜群にカッコよかった(というか今でもカッコいい)。

なによりもこのアルバムは一曲目の「Snakes」、それも曲頭のスネア一発で話題沸騰というか、カッコ良さ爆発という感じである。そこからスロウな「Benny」で哀愁漂う泣きのサックスが炸裂、畳み掛ける様に「Crossfire」から「Full House」と来たところでスタンダードの「Soul Serenade」。幾つかのバージョンを知ってはいても、もうなんだかSanbornのバージョンで自分的には決定打というか、こういう感じでしかあり得ない。その後も「Hey」でファンキーなリズムギターにホーンセクションに絶妙なバスクラリネットでグルーヴしまくり、パーティーソングの「Bang Bang」でさらに盛り上がり、「Alcazer」で少し怪しげな夜の雰囲気に浸ったかと思うと最後はOrnet Colemanの「Ramblin’」をこう来るかというアレンジでノリノリに聴かせて終わるという、ダレる暇も間延びする隙も全く見せない完璧なプロダクション。
そこに脂の乗りまくったSanbornの泣きのサックスが歌いまくるのだから文句のつけようがないというものである。
自分にとってはまだ、その当時はそういう言葉で語られることはあまりなかったと思うが、いわゆるグルーヴのカッコ良さを知った最初の一歩といって良い。

まぁ、この路線は続く「Hearsay」で拡大継続された後に一区切り、その後は『Pearls』を皮切りにして落ち着いた大人の内省的な世界観が強まっていくことになり、何となくリアルタイムで追いかけることは少なくなっていくのだが、それとは別にこの後、筆者にとっては音楽に取り組む上で(あるいはもっと広く生きていく上で)大きな学びの一つをSanbornの言葉から得た。
追悼と感謝の気持ちを込めて、改めてここにも載せておきたい。
例によって(笑)「JAZZ LIFE」誌のこれは1996年2月号のインタビュー記事からである(ちなみに特集は「ジャズとは何か?」というこの時代ならではの挑戦的な内容だったし、Chick Coreaとイベントで初共演した高校生の時の(!)上原ひろみが載っているという希少もの。この頃のインタビューは読み応えがあった)。

「僕は、音楽は常に人生を肯定するものでなければならないと思っている。どんなに人生に辛いことがあってもそれが音楽に映し出されるし、同じように音楽は人生に対する自分の姿勢でもあると思う。特に僕が大切だと思うのは、生きることへの意志というか、心の沈黙といったものなんだ。その意味で音楽の根底にあるのは「静けさ」だと思う。」

「音楽経験に対して自己を謙虚な状態に置くということだ。それはリスナーだけでなく、パフォーマーにも要求されることだと思うよ。音楽を演奏するという行為は、ある意味では自分をコントロールしているわけだが、同時に演奏するということ自体、自己のコントロールが及ばないことでもあるんだ。」

「(たとえ素晴らしい音楽を聴いて心が豊かになっても直後にイラッとすることがあるという問いかけに)うん、でもそれはあまり気にすることないと思うよ。そういう感情が生まれるということは、人間にとってしょうがないことなんだよ。周囲全てをコントロールできるわけないんだから。大切なのは、周囲や他人を変えることはできないけれど、その感じ方、自分自身をコントロールすることはできるっていうことだ。そして自分がどういうふうに行動を取るかは自分で選ぶことができる。それが音楽のメッセージだよ。そういうことを克服するのは難しくないと思う。みんな人間なんだから。完璧な人間なんていないからね。」

「自分がどっちを選ぶかということ。僕が音楽から、特にインプロヴィゼーションから学んだことがあるんだけれど、インプロヴィゼーションは事前に準備できないだろう。もちろん、やれないことはないけれど、それは本当のインプロヴィゼーションじゃないよね。インプロヴィゼーションの最大の魅力は、その場で起きたことをベースにして何かをプレイし、それに対して何らかのレスポンスをその場で返すということだ。しかもそこから何らかの新しいものを創造しなければならない。しかし相手がプレイすることを自分でコントロールすることはできない。できるのは相手が現実に演ったことをどのように受け止めるかという選択だけだ。したがって自分の行動というものは、結局はその場で起こっていることに反応しているわけなんだ。人生も同じだと思うだよ。つまり次から次へと起きる出来事に対して、自分がどのように反応し、対応していくかということ。だって他人もこの世の中も自分ではコントロールできないんだからね。必要なのは、いかに自分の人生を平和に、そして精神的に優雅に過ごすかということを真の意味で理解できるかどうかということだと思う。どういうリアクションを取るべきかという理解、そして人生に起きるすべての出来事から何を学び、何を創り出すかということ。これこそ音楽が教えていることなんだ。」

「音を越えて、何か心の琴線に触れるものがある。それこそが音楽の「質」であり、僕たちば求め続けているものなんだ。だけどそれは自分のコントロールが及ばない世界にあるものだ。旋律など、自分がプレイする音楽フォームはある程度コントロールできる。しかしそういったコミュニケーションは心の奥深くから自然に沸き上がってくるもので、それは直接意識的にはコントロールできないし、実際には聞こえないものだからね。しかしそれが得られたとき、音楽は単なる「乗り物」にすぎなくなってしまう。」(特集記事より)

唯一無二のトーンや卓越したテクニックもさることながら、こういう思想、哲学のバックグラウンドがあってこそ、あの素晴らしい音楽があったのだなと改めて思う。